釣りのときに人命救助をした話。

今からおよそ30年前、ワタクシがまだティーンエイジャーだった頃のお話です。

 

大学受験が視野に入る時期、そろそろ勉強に本腰を入れなければならなくなった頃、例のごとく典型的なダメ人間の行動思考そのままに、息抜きという名の現実逃避の正当化をする事ばかり考えていました。
その息抜きの一つに「バス釣り」があり、友人とその幼馴染と3人で近所のダムや堰に時間さえあれば通っていました。

 

●危ない釣り場(現在は釣り禁)

ちなみによく行っていた近所(といっても自転車で20分くらい)のダムのプロフィールですが、すり鉢状の構造ということで落ちたら上がってこれないから近づくな、というローカルコーションがあったり、かつて近所で行方不明になった子供が溺死していたのをTVの超能力捜査で見つけちゃったりと、ネットで情報を探せばすぐに場所の特定は出来ちゃう、ところです。

今でこそ、釣り糸を垂れようもんならそっこーで通報されて桜の大門の方々が出動してくる地元じゃかなーり侵入を厳重に取り締まるスポットとなっているのですが、当時は「気を付けてね~」と注意されるくらいの今じゃ考えられないゆるーい感じなのでした。

なお、釣りが出来そうな場所は限られており、中でも水通しのよい水門周辺は足場が斜面且つ若干滑りやすいものの魚も集まりやすく夏場は人気ポイントとなっていました。

 

●釣り場で出会った3人家族

そんなある日。
いつものようにそのダムに向かうとラッキーなことにその水門周辺は3人家族(30代くらいのご夫婦と3,4歳くらいの男の子という構成)がレジャーシートを広げてピクニックの傍ら釣りをしているくらいしか人がいません。
その家族に「ここで釣りさせてもらってよいですか?」と丁重に挨拶をし了承を得た上で釣りを開始。

 

水門にルアーを落とすだけで簡単に大きなニゴイが釣れたのは今も鮮明に覚えています。同行者の友人は同じ釣法でバスを釣っていたっかな(この辺の記憶はおぼろげ)。

で、その家族の男の子が元気いっぱいで、愛想がよく、釣りをしている我々にリンゴだか梨を持ってきてくれたり、途中そのお父さんが近所の釣具屋に買い出しに行くというときに、車に同乗させてもらったりと、和気あいあいとうちとけた雰囲気に包まれていました。

それだけならばとても穏やかなひと時でした、ってことで締めくくれるのですけど・・・事はそんなに都合よく運びません。

 

●そして、事故は起きた

水門の斜面は水際がコケや藻がべったり張り付いているため、ものすごく滑りやすくなっていて少しでも足を踏み入れて重心をかけようものなら、いとも簡単につるっと滑る状況(一度滑った経験あり)。
案の定、周辺を走り回っていた男の子が足を滑らせそのまま勢い余って体ごと水中に落ちてしまったではありませんか。

前述の通り斜面にはコケと藻が生えてるだけでつかむものもありません。

その男の子は何か”見えない力”で水の中に引きずり込まれるかの如く遠のいていきます。
そこで真っ先に飛び込んだのが、お母さんでした。
しかしながらこのお母さん、子供を助けようという一心で飛び込んではみたものの、泳いで岸に上がってこれそうな気配はなく・・・次にお父さんの方が飛び込みました。
お父さんは何とか子供とお母さんを抱きかかえるところまではできたものの岸に上がってくるための”きっかけ”となるストラクチャーが周りにありません。

水門の斜面を登って雇用にもつるつる滑って体力を奪われるだけ、そんな状況です。

 

●一瞬、頭が真っ白に

3人親子が次々に水に落ちていったこの一部始終は時間にするとほんの刹那の出来事です。
一瞬、目の前で起きていることが理解できず&何をすべきかの判断ができなかったのですが、とにかく同じように飛び込んでも解決にはならないだろうと、とっさに思いついたのは、”つかまるもの”の確保。
我々が持っているバスロッドは2mに満たないものだったので、全然届かない事を瞬時に判断し、この親子が使っていた延べ竿だったかその辺に落ちていた竹だったか(この辺の記憶が曖昧)、とにかく長い棒状のものを我々が滑り落ちないぎりぎりの岸際からお父さんに向けて差し伸べ、がっちり握られたことを確認しそっと手繰り寄せて救助することが出来ました。

当時の気持ちはこんな感じです。

 

助けたお礼にまたリンゴ(だったか梨)を一切れいただいたのですが、この3人家族、事故に懲りてすぐに帰るかと思ったらその後もしばらく釣りを続けていたのは強く記憶に残っています。

 

その帰りに立ち寄ったラーメン屋さんが、先日紹介したこちらのお店です。

 

あの3人家族、今はどうされているのかな。
この記事を読んで「これ私たちの事だ」と心当たりがあったら、是非Twitter:AnglersLobbyにDMが欲しいものです。

 

●最後に

もし、あの日あの時あの場所で(←この曲のリリースの翌年の出来事)、私たちがいなかったらあの3人家族は・・・考えないでおきましょう。

 

あれから約30年。
人が「ともすれば命を落としたかもしれない瞬間」を目の当たりにし、そして救えた経験は決して無駄にせず、当ブログでは引き続き安全対策についてもところどころで啓蒙していこうと思います。

a.コラム

Posted by fumian